『あやうく一生懸命生きるところだった』

『あやうく一生懸命生きるところだった』だなんて言えるほど、一生懸命に何かを頑張ったり、努力できたことがそもそもなくて、そんな自分に呆れる。

自分は自分が頑張っているとは思えないし、文句言えるような立場じゃないと思うし、そもそも何も考えれてない人間だから疑問も不満も出そうにも出せなくて、

つくづく頭の使えない何の面白みもないくそ人間だなぁと思うわけで、

だから「こんなに頑張ってるのに」とか、「努力に見合わない~…」とか「仕事ばっかりで自分の時間が…」とかいった内容はあまり響かなかったけど(あぁ、自分ももっとちゃんと頑張れてたらこんな風に思ったりするんかな、とか、そもそも頑張れてない自分がこういう気持ちになること自体くそやなぁとかは思った)、

自己肯定感の低さは自分の理想が高すぎるからといった主旨の内容の部分に関しては、自分もずっとそう感じてきてたから、改めて(いや、本当にそうだよな)と思った。

自分は自己肯定感が低いとは思わない、自己評価はもう底なし沼に低いけど、自己を客観的に見て、その低い評価で妥当だと思うし、そこから考えて自分の持っている自己への肯定感だってこの程度の低さで妥当だろうと思う。自分がそんなすごい人になれるとは到底思えないし、だから自分はできなくて当然で、くそ人間だからこんなにも無能で無価値でクソなのは事実で、まぎれもない変えようのない事実で、それは目をそらそうが隠そうが、事実であることだけが事実で、それに見合った肯定感しか持てないのは当然であって、だから低いとは思わないし、それを上げることなんてできないと思う。(そもそも低い高いは相対的なものであるから)

そもそもこの世の中なんて不平等で不公平で確実なことなんて何もなくて、どうしようもないことなんていっぱいあって、どんなに頑張っても無理なこともあれば、どんなに頑張らなくてもそうなることもあって。

こんなに毎日苦しいのは、それだけ無意識の間に何かを求めたり、期待したり、見返りを求めたりしているんだろうな、と。

いま自分が何をしようと、明日どうなるかなんて結局明日にならないとわからないし、今何をしようともこの次の瞬間究極死んでる可能性だってあるわけで。

どうしようもできないことばっかりだけども。

だから自分はただただもうどうしようもないダメすぎる人間であって、その事実は事実として存在してしまっているわけだからどうしようもない。どうすることもできない。

その事実はどうしようもなくそこにある。

たぶん、自分は何かをどうにかしようと努力することはできない人間なんだと思う。何もどうすることもできないのだけども、じゃあだからと言って何もしないというのは違う気がして、何かすべきことをした上でダメならそれで仕方ないけど、すべきことをしないでダメだとそもそもダメだったのかしなかったからダメなのかわからなくてしなかった自分がダメになることがいやだから、しなきゃとおもうのか?

…書いていて何が何だか分からなくなった。

 

とにかく、多分、自分は本当にこの世で最低な人間だという事実は認識しておかないといけなくて、だから自分のそのくそさとかダメさとかどうしようもないこととか自分で自分がのうのうと生きていることが許せないこととかなんかそういうことはもう仕方がないことなんだろうね。

そしてそれらがしばしば苦しく感じてしんどく感じて辛く感じてしまうのは、でもどっか片隅で(もうちょっと出来る人間になりたい)とか、(本当は幸せになりたい)とか、何かはわからんけど、何かしらの期待とか欲とか傲慢さがあるからなんだろうね。

あぁ、あぁなんて醜い人間なんだろう、自分という奴は。

何で自分はこんなくそな自分として生きていく運命なんだろうか。

これこそ仕方のないことなんだろうな。

 

後輩の方が、「考えることはうまくできるけど、遅刻せずに行くとか提出物を期限までに出すとかが苦手で、~…」みたいな話をしていて、(あぁ、そういう人が本当に必要とされて臨床出たら重要でいい働きができる人なんだろうな)と思った。

けどたぶん自分は、いや、確実に自分は真逆の人間であって、というかむしろどっちも不得意で、本当に(あぁ自分は確実にそっち側の人間ではないな)と思って。

(いや、そっち側ってどっちよ、)とも思ったけど、

なんとなくわかるやん、そっちではないんだって。

でも、こっち側の人間ったって、私ほどくそな人には出会ったことないから、もはやこの世でこっち側は自分だけだろうと。

 

わからん、わからんけど。

この世に死にたいと思ったことがない人はいるんだろうか(赤ちゃんとか、子どもとかは別にして)

なんかどうせ死にたいと思っているんだったら、自分の為に生きる必要はないし、じゃあその余った時間をちゃんと人の役に立てるようなこと(仕事とか勉強とか、わからんけど)に使えばいいのにと思いつつ、自分の勉強や仕事が人の役に立ったことがないからそれすらもう方向性を失ってるわけだけど。

 

まぁ、なんかわからん自分の「自分は幸せになってはいけない感」の正体はまだわからないにしても、それで苦しく感じてしまうのは結局どこかにまだ幸せ(かなんか、わからんけど何か)を期待して求めてしまっている傲慢さからだろうと。

自分なんかがそんなこと望んでいいはずもないのにさ。

あぁ、わからん。

もうわからん。

 

たぶんここ10年弱ぐらい、ずっとこんなこと考えてる。いや、考えてるなんてたいそうなことはしてない。そもそもここ10年ぐらい、ちゃんと頭を使えたためしがない。

わからんわ。